カメラ仲間でも見つかればと思い、ブログを始めてみました。コクのある写真を気楽にアップしていきたいと思います。コメントやリンクも気軽にどうぞ。
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プロフィール

スメハッチャン

Author:スメハッチャン
本名:矢野 巌 (Iwao Yano)
Twitter:@iwao_photolife
FaceBook:Iwao Yano

どうやら世の中には、
面白いことがあふれ返っているみたいです。

会社員生活の中で時間を見つけては
カメラでそんな風景を切り取る日々です

写真仲間も絶賛募集中。
気軽にコメントください♪

・2008年 塩竃フォトフェスティバル
 ポートフォリオ選考通過

・2008年 ダ・ヴィンチ BCCKS 写真集公募展
 一次選考通過

・2009年 塩竃フォトフェスティバル
 ポートフォリオ選考通過

・2011年 CP+ 「御苗場」
 総合プロデューサー/PHaT PHOTO編集長
 テラウチマサト氏 レビュアー賞 受賞

・2011年ニューヨークフォトフェスティバルへ
 日本選抜メンバーとして出展

・2013年 CP+ 「御苗場」
 総合プロデューサー
 テラウチマサト氏 レビュアー賞 ノミネート

・2013年 塩竃フォトフェスティバル
 ポートフォリオ選考通過

・野毛大道芸フォトコンテスト2013
 2作品入賞

・2014年 EINSTEIN PHOTO COMPETITION
 一次選考通過

・2016年 塩竃フォトフェスティバル
 ポートフォリオ選考通過

・2013年 塩竃フォトフェスティバル
 ポートフォリオビューイング
 平間至氏の推薦により出展

・2011年PHaT PHOTO 5-6月号
 2ページ掲載

・2011年PHaT PHOTO 7-8月号
 ちょっと掲載

・2012年PHaT PHOTO 7-8月号
 作品集が掲載

・2011年09/11 御苗場 in NY
 作家としてトークイベントで講演(動画は↓)
 http://www.ustream.tv/recorded/17200106

・アスカネットさんのWeb上で作品集を公開
 http://www2.mybook.co.jp/clubmybook/pick_up/onaeba/

・アスカネットさん青山ショールームで、作品集を永久展示

・御苗場Selected Photographers
 東京・大阪での巡回展
 塩竃フォトフェスティバル連動企画での展示
 他グループ展など、出展多数

・写真集団シメンソカ所属

since 2007/03/06




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写真、楽しいです。
ずっと撮り続けていたいです。
続ける1人になりたいです。

【Nicolas janowski との写真談義】 - T3 PHOTO FESTIVAL - 3/3 
2017/06/07 /07:05
フォトグラファー Nicolas janowski 氏。
T3 PHOTO FESTIVALプロデューサーである速水惟広氏からの縁で、
彼は僕の家に数日ホームステイすることになった。

※ 略歴 ※
アルゼンチン ブエノスアイレス出身。
先日開催された『T3 PHOTOFESTIVAL』で、講演・レビュアーと務めたNicolas janowski。
国際的なアワードを幾つも受賞し、キュレーターとしてのイベントも多く手がけつつ、
人類学者としても時おり大学で教鞭を取っている。
http://nicolasjanowski.net/Home/

最後の3回目として、彼の人柄と見識に敬意を表し、その作品と彼から学んだことを書いておきたいと思う。

彼は出自であるブエノスアイレスから車で3-4日、
飛行機でも数時間かかる、世界の果てで作品を撮り続けたという。
南米大陸というと暖かいイメージがあるが、南極に最も近い島。ほぼ南極。
寒いなんてもんじゃないと、彼は何度も思い出しては震えながら話してくれた。

世界の果てにも僅かに人は住んでいて、彼らは非常に地元への愛着を持っているという。
厳しい極寒の景色と住人たちの様子が、ニコラス独特の青みがかった世界で表現されている。
何年も通って撮ったんだよと彼は写真だけでなく動画作品も見せてくれたが、
その青さが不自然ではなく、写真や映像では伝えきれないであろう過酷な世界と文化を表現したいという
彼自身の苦闘の色にも見えて重みを持たせている。
マルチな顔を持ちつつも、何度もそこへ赴き撮り続けるという点で、彼も狂気を充分にはらんでおり、
優れた写真家としての資質を感じさせる部分であった。

また、写真以外に彼から学んだことは、彼の日本での立ち振る舞いだった。
当然ながら日本語など全く話せないし、ジョークのセンスも異国人のものであるけれど、
短い期間でも日本人に合わせよう、知ろうという姿勢を常に崩さなかった。
僕も今まで海外に出たり、日本に来ている異国人と接する機会は多少あれど、
ショートステイであれだけ真摯に取り組んでいる異国人は初めてだった。

郷に入りては郷に従え。
シンプルでいながら意外に難しいこのことを、彼の姿はよく伝えてくれていた。
他国の文化に対する関心と尊重の念が為せるものだと思う。

170524 ニコラスアルバム_170604_0006
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【Nicolas janowski との写真談義】 - T3 PHOTO FESTIVAL - 2/3 
2017/06/06 /07:05
フォトグラファー Nicolas janowski 氏。
T3 PHOTO FESTIVALプロデューサーである速水惟広氏からの縁で、
彼は僕の家に数日ホームステイすることになった。

※ 略歴 ※
アルゼンチン ブエノスアイレス出身。
先日開催された『T3 PHOTOFESTIVAL』で、講演・レビュアーと務めたNicolas janowski。
国際的なアワードを幾つも受賞し、キュレーターとしてのイベントも多く手がけつつ、
人類学者としても時おり大学で教鞭を取っている。
http://nicolasjanowski.net/Home/

夜に上野で合流し、我が家へ到着。
僕に見せたい物を持ってきたと、彼は大きな荷物の中から何冊かの本を取り出した。
それは彼の掲載されている本であったり、深瀬昌久や森山大道の写真集。
森山大道の写真集を開いて見せながら、『サイン入りなんだよ!』とニコニコ笑う。

もう1冊の『深瀬昌久/Ravens』は、以前1度だけ藤井ヨシカツ氏に見せてもらって以来、憧れの写真集。
彼が持ってきたのは最近復刊されたばかり未開封品だった。
『見なよ!』と彼は差し出すけれど、未開封を開けるのは忍びない。
先にニコラスから見て欲しいと言っても『いいから見なよ!』と聞かないものだから、
最大限の丁寧さで開封する。

本当に好きな写真集でもあるし、僕は1ページづつゆっくりと進めながら、つい無言になってしまう。
彼はそんな僕を眺めながら、ずっとニコニコしているようだった。

『中学生や高校生の頃、大好きなミュージシャンのCDを買った時のことを覚えている?』と、僕は彼に尋ねる。
『覚えているよ』と彼。
『急いで家に帰って、プレーヤーにCDを入れる時のことを?』
『ああ、覚えているよ』
『その時の感覚にとても似ている』
『分かるよ』
『写真集って、音楽にとても似ている気がするんだよ』
『その通りだよね・・』

と、やっぱり彼はニコニコしながら言い、
東京の夜は更けていくのでした。
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【Nicolas janowski との写真談義】 - T3 PHOTO FESTIVAL - 1/3 
2017/06/05 /07:05
フォトグラファー Nicolas janowski 氏。
T3 PHOTO FESTIVALプロデューサーである速水惟広氏からの縁で、
彼は僕の家に数日ホームステイすることになった。
これから3回に分けて、その思い出を書いていこうと思う。

※ 略歴 ※
アルゼンチン ブエノスアイレス出身。
先日開催された『T3 PHOTO FESTIVAL』で、講演・レビュアーと務めたNicolas janowski氏。
国際的なアワードを幾つも受賞し、キュレーターとしてのイベントも多く手がけつつ、
人類学者としても時おり大学で教鞭を取る。
http://nicolasjanowski.net/Home/

夜に上野で合流し、我が家へ到着。
互いに作品を見て語り合いたいと思っていたら、図らずも唐突にレビューのような形になった。

『Show your work』と彼は言う。
そうか、プロであることが当然の海外作家にとって、写真は当然に『work』なのだ。
写真も『picture』でなく『photo』という表現になる。

僕はそんなことを考えながら、自分のスナップポートフォリオを彼に差し出した。
ひとしきりサラリと見た後
『皮肉、ユーモア、楽しさが全編にあるね』
『イワオは日本人らしくない、ヨーロッパやドイツの写真家のようだ』
と、構図の取り方など、この辺がドイツっぽいと丁寧に説明してくれる。

『Another work?』と彼が言うので、ずっと取り組んでいる別テーマのポートフォリオを渡す。
これはキャプションがあるので、彼に説明しながら進んでいく。
先ほどとは変わり、彼は何度ポートフォリオを見返しただろう。
食い入るようにポートフォリオをめくり返しながら彼は言う

『これはスナップとは全く次元が違う』
『日本の社会に何が起こっているのか考えさせられる』
 社会への問題提起として、菊と刀に通じるところがある』
『これは写真ではなくコンテンポラリーアートだよ』

『サイトを別に立ち上げた方がいい、そしてもっとソリッドに絞る。
 この作品なら多くて20枚。そうすると凄くパワフルになるよ』
『ギャラリーではなく、大きくプラスチックにプリントして公共スペースに展示した方がいい』

『このポートフォリオの中で、写真のものとアートのものがある
 それが同じテーマであっても大きく違う、この違いは大きいよ』

『この作品を世界につなげるには・・』
『イワオの作品に近い作家はこの人だよ・・』などなど、

ずっと今までニコニコしていた彼が、この話の間は一切の笑顔もない。
僕もきっと射るような眼で彼を見ながら話していたことだろう。
今まで受けたレビューとは熱量がまるで違う。
どうやったらアルゼンチン人から菊と刀という言葉が出てこようというのか。

決して英語の上手くない僕のために分かりやすい言葉で、
時にWebサイトや映像も紐解きながら約2時間に渡り、作品について意見とアドバイスをくれた。

本来なら安くない対価を払ってレビューを受けるのが当然で、ここにその全ての内容は書かないけれど、
彼からのホームステイに対する御礼の気持ちと、写真への愛なのだろう。

本当にたくさんのヒントと後押しを貰った。
この熱意と善意に応えるためにも、自分の作品を変えていこうと思う。

13時間の時差ボケと疲れで、話が終わった頃に彼の眼の下は真っ黒だった。
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【ブログ10周年記念③ -いい写真って何だろう?-】 
2017/01/03 /19:05
2017年をもちまして当ブログは開設以来10年の歴史を刻むことができました。

ひとつの区切りということで、僕の写真に関するイロイロを書いていきたいと思います。

------

写真をはじめた頃から常に考え続けているテーマの一つに、
『僕にとって、いい写真って何だろう?』というものがあります。
おそらく写真を少しでもやっていると誰でも必ず突き当たるテーマでしょう。

『いい』という言葉の意味は非常に広く、明確な定義付けなどできません。

写真にいいわるいなどなく、全ての写真が等価であると思いますが、
作品としての写真について考えてみると、幾つかの意味や見方で分けることは出来そうです。

①『見た目』がいい
おそらく最もよく使われる意味だと思います。
構図がいい、色味がいい、額装がいい、ボケ味がいい、紙がいい、などなど、もしも審査員として採点するなら基準にもしやすい見方でしょう。

②『雰囲気』がいい
なんだかよく分からないものがユラユラ写ってるけど、その不穏さがいい。
ピントも色もメチャクチャだけど、その不完全さがいい。
僕の出発点でもあるガーリー写真なんかは、ここに含まれることが多いことでしょう。

③『被写体』がいい
とにかく美女が写っているのがいい。
かわいい動物が写っているのがいい。
雄大な風景が写っているのがいい。
などなど、評価の第一印象が被写体の印象に左右されやすい見方かも知れません。

④『奇抜さ』がいい
何故かオッサンが七色に輝いていていい。
何故か全裸の男女が釣堀で金目鯛を釣っていていい。
などなど、アイディアや斬新さがよしとされるので、最も自由な見方かも知れません。

⑤『関係性』がいい
被写体同士の関係性がいい。
撮影者と被写体との関係性がいい。
家族写真や恋人写真など、人間同士の写真がこの見方で見られることが多そうです。
ここには距離感も含まれそうです。


挙げていけばもっとありますが、ひとまずこの5つで考えてみます。

いい写真だと感じる時、僕はどのような流れで見ることが多いだろう?と自分の思考を辿っていくと、


②『雰囲気』
見た瞬間に感じる雰囲気。
まだ何が写っているのかさえ理解してない、コンマ数秒の感覚で足を止めます。

③『被写体』
何が写っているのだろうと目を凝らし、徐々に作品を理解し始めます。
これは確認作業に近いです。

⑤『関係性』
最も長い時間を掛ける部分です。
明暗、構成、表情などを読み込んでいき、作家や被写体の心情を更に深読みしていきます。
写真によってはここで、頭の中に音楽や声が聴こえてくることもあります。

①『見た目』
読み込んでいき、一旦写真から離れて俯瞰することで、全体の収まりのよさを見ていきます。

④『奇抜さ』
コンセプトや斬新さを考え始めます。
特にキャプションを読むのは最後の最後なので、読んで初めて斬新さに気付くこともあります。


写真の個性やその時の心情によって順番や重みが変わることはありますが、多くの場合『雰囲気』と『関係性』が大きなウェイトを占めていることが分かりました。

分類しておきながら曖昧極まりない単語に着地しそうですが、
雰囲気というのは他の3つ(奇抜さはやや外れます)が高い水準で揃うか、どこかがズバ抜けていないと醸し出せないもので、
名作や選に残るような作品は、見た瞬間の訴求力が非常に強いものです。

そこで、僕の惹かれる雰囲気をアレコレ思い浮かべると、どうやら関係性が訴求力として強く浮かび上がっている写真が多い傾向にあるようです。
関係性は距離感でもあり、それは作家の感情から生じるもの。

つまり、僕にとっての『いい写真』というのは感情の伝わる写真であることが多いようなのです。
(その点では家族写真こそ無敵の写真だと思います)

写真なんて目の前にあるものを薬剤の反応や画像素子で表現しただけのもの。
それ以上でもそれ以下でもないのに、感情なんてものを読み取ろうとしてしまう。感情を表現しようとしてしまう。
人の感情の紡ぎ出すものは、実に不思議なものです。
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【ブログ10周年記念② -僕がスナップを撮る理由-】 
2017/01/02 /19:05
2017年をもちまして当ブログは開設以来10年の歴史を刻むことができました。
つまり、写真を始めて10年が経過したことになります。
2010年の時点で一度ブログのデータが飛んでしまったため、完全には残っていませんが、
10年間ほぼ毎日、実に3600点以上の作品をアップし続けてきました。

ひとつの区切りということで、僕の写真に関するイロイロを書いていきたいと思います。

------

写真には多くのジャンルがあります。
その中で僕がスナップを撮り続ける理由について書いてみようと思います。

もともとはガーリー写真から始まったこともあり、スナップ写真には全く興味がありませんでした。
トイカメで観覧車や花やカプチーノを撮っては喜んでいたのですが、
気がつくと写真の端々にオッサンや子供が写り込むようになっていきます。
人間の行為というものは1回なら偶然でも、回を重ねれば持ち味。
つまり僕はどうも人間に目が向いていると気がついたのが、写真を始めて半年後のことでした。

そうは言っても現像して上がってくるのは、様子のおかしなオッサン写真や看板ばかり。
クロスプロセスのオッサン。ビビットカラーの仏像。
果たしてこんなものが写真作品といえるのか、僕は腕を組んで考える日々が続きます。
そこで偶然目にしたのが『塩竃フォトフェスティバル開催』の記事。
どうも応募して選考に通れば有名らしい平間至さんという方に見てもらえるらしいという話に僕は飛びつきました。
何も知らない勢いで応募してしまうのが初心者の怖さで、選考に通るのは初心者の強さ。

写真の何を聞いていいのか、何を話したらいいのか分からないまま赴いた塩竃。
僕は平間至氏、広川泰士氏から贅沢にもマンツーマンレビューを受けながら、
『こんなんでいいんですかねぇ・・?』
『いいと思いますよ。そういう目を持っているんだから。』という平間氏の言葉を貰えたことで、
この方向性のままスナップを撮り続けてみようとの思いを固めるに至ります。

再度の塩竃フォトフェスを経験しつつ、それから3年。
やはり偶然目にしたのが『御苗場』という日本最大の写真イベント開催の記事。
数百人の出展者と作品を競い合い、数名のレビュワーからの受賞を勝ち取るという場。
スナップという方向性に迷いはなかったものの、果たして僕の作品がどこまで通じるのかを試したかったというのがあります。
自分の撮っているものが果たしてどうなのか、正直まだ自信がなくて不安だったのです。
その結果として主催者であるテラウチマサト氏から賞をいただき、壇上で目頭を押さえつつスピーチしながら僕は確信することができました。
人の営みを撮り続けていくことには、替えられない価値があるということを。

僕の作品を見た人の多くは笑ってくれます。
普通の街中の人たちが見せる可笑しさや、ユーモラスな仕草。
それを見た人に伝えたくて撮っているから、笑ってくれるのはとても嬉しいことです。

これはまだ撮影時期からの時間が最大でも10年程度しか経過していないので、
単に面白いねという話ですが、これが50年経ったら、100年経ったらどうでしょうか?
今はそこに写っている『個人』を見て僕らは様々な感想を抱きます。
50年後にはやがてこれは日本人としての記録に変質していきます。
100年後には更に人間の記録として変質していくことでしょう。
ちょうど僕らが戦時中や幕末の写真を見ながら抱く感覚が、きっと生じてくるはずです。

100年ほど前に撮られた何気ない街のスライド写真を見て、僕は不覚の涙を流したことがあります。
知らない家族、知らない街、知らない暮らし、なのにどうにも胸に迫る。
そういう力が写真にはあります。

僕は撮られる側からすると迷惑極まりないことに、街中の人々を撮り続けています。
人々の生活というものが可笑しさや優しさに満ち溢れていて、全てが忘れられてしまうには余りに寂しいと考えるからです。
膨大な量の写真の中から、今を生きる人々の息遣いや声を次の世代に伝えていきたいと、本当に勝手ながら考えているのです。
この中から1枚でも残って、100年後の人が笑ってくれたらと。

10年前とは状況も変わり、スナップが犯罪としての行為に近づきつつあるのは残念です。
しかし個人情報の価値が大きく変化してしまったため、世の中が過敏になるのは至極当然であるとも理解しています。
うまく時代と折り合いをつけつつ、その折り合いの様子も時代の記憶として残していけたら。
そんなことを考えながら、今日も街中でシャッターを切り続けています。
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【ブログ10周年記念① -10周年に寄せて-】 
2017/01/01 /19:05
新年、あけましておめでとうございます。

2017年をもちまして当ブログは開設以来10年の歴史を刻むことができました。
つまり、写真を始めて10年が経過したことになります。
2010年の時点で一度ブログのデータが飛んでしまったため、完全には残っていませんが、
10年間ほぼ毎日、実に3600点以上の作品をアップし続けてきました。

ひとつの区切りということで、僕の写真に関するイロイロを書いていきたいと思います。

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僕が写真を通じて学んだ最も大きなことは、
撮影技術や写真やカメラの知識ではなく、
自分がこれでいいのだということ、同時に他人もそれでいいのだということです。

僕はもともと写真やアートの人間ではありませんでした。
よくいるクラスや町の変わり者で、
いつも訳の分からないことを言っては、周りを困らせるような人間でした。
それが20代半ばまで続いていたのですから、傍から見てさぞや心配だったに違いありません。
今にして思えば内側にあるモヤモヤを形にする術が分からず、訳の分からないことになっていたのです。

そんな中で何気なく目にしたカメラ日和という雑誌。
掲載されていたトイカメの写真に、僕は大きな衝撃を受けます。
自分の知っている『写真』とは違う、ボケたりフワっとしたしたガーリー写真の数々。
『こんな自由なの、アリなんだ・・!!?』という思いを胸に、気がつけば僕はトイカメを手にしていました。

ガーリー写真を出発点として撮り続けるうちに、
色んな人が作品を面白がったり、声を掛けてくれるようになりました。
平間至氏やテラウチマサト氏などをはじめ、本当に信じられないくらい多くの方々です。
御苗場での受賞や塩竃フォトフェスへの参加、NYでの展示など想像さえできなかったことです。

ずっと『常識的な枠で物を考える』他人との考え方のズレや、身の置き所のなさに苦しんでいた中で、
撮った写真が他人から認められたり、語り合えるということは、
そのままで生きていていいんだよと、そう言われることに等しいことなのです。

おそらく作品を産み出し続けてる人には、同じような側面があるのではないでしょうか。
写真を通じて僕は、自分と他者との考え方の違いは全て相対的なものに過ぎないことを学んでいきました。
ああするべき、こうあるべき、その枠から少しづつ自由になり、自分の見ている世界を人に伝える術を学んでいったのです。

それを教えてくれた写真という世界が、僕はますます愛おしくて仕方がありません。
レンズを通じて覗く人々の何気ない生活が、僕はどうにも愛おしくて仕方ありません。

ここであげてきた写真は僕そのものです。
この時代遅れなブログという形式がいつまで続けられるかは分かりませんが、
形は変わっても生きている限り、ずっと世の中に愛を持って写真を撮り続けていきたいと思います。
写真を通じて、自分が得たことを少しづつ返していきたいと思います。

次はCamera freaks a GO! GO!の11周年を目指していきます。
きっとまた訳の分からないことを言い続ける僕の作品を、暖かく見守っていただけたら幸いです。


そしてこの10年間、写真を勧めてくださった方々、支えてくださった方々、褒めてくださった方々、
批判してくださった方々、被写体になった方々、関わった全ての方々の全てに心から感謝いたします。
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眼を閉じて見えるもの 
2014/09/02 /07:05
盲導犬を連れた人が店を利用する場合、店はそれを拒否してはならないという法律があることを知っている人は多くない。
(もちろん一方的な権利ではなく、よほどの不利益や損害が予想される場合には適用外となる)

先日、盲導犬ユーザーを連れて都内を観光するというイベントに携わった。
幾つか喜ばれそうな店をピックアップして、前日の下見に行ったときのこと。

浅草で老舗かつ名店と呼ばれる店。
店内は決して狭くなく、道路に面した側には若干の余裕もある。
決して値段は高くなく、古さが取り得の賑やかな大衆店だ。

その中で最も端の席を選んで座り、注文を取りにきた女性に聞いてみた。
『明日、こちらに盲導犬を連れた方を連れてこようと思うのですが、差し支えないですよね?』と。

すると女性店員の顔は困惑に変わり、代わって責任者と思われる男性が出てきた。

結果はお断りしますとのこと。
盲導犬自身は訓練されていて決して粗相や暴れることはない、
毛も飛ばないように服も着せている、
他のお客様の迷惑にならぬよう最も端の席で構わない、
カレコレこんな法律もあるのですよと、話をしてみた。

男性は柔らかく、しかし決して引かぬ様子でこう続ける。
『はい。その法律は知っていますが、店としてはご遠慮願いたいです』
『では、ご自身が逆の立場だったらいかがですか?』
『・・・』
『何か明確な理由がありますか?』
『・・・・・・』
『きっと同じ立場になってみないと分からないのかも知れませんね。残念ですね』
『そうですね』

という一連の遣り取りをし、これ以上は却って今後の盲導犬ユーザーの心象を悪くすると思い、挨拶をして店を後にした。

実は、店に予め確認を取るのはトラブルの元だと聞かされていた。
当たり前の態度で堂々と入ればよいと、協会の方からは聞かされていたのだが
、万が一トラブルがあっては観光気分を害してしまうだろうと考えての行動だったのだが、
結果としては入れたかもしれない店を一つ減らしてしまったことになる。

盲導犬を連れていると日常茶飯事のことで。彼等はもう慣れっこになってしまっているという。
これだけ世間的に知られていて、身近に居る盲導犬や眼の見えない人たちの現実は、まだまだこういうこと。

今回はたまたま眼の見えない人に対する話だったが、
いわゆる普通の人たちと少し違う人たちの世界には、これだけの溝がある。
全てを埋めることは出来ないが、例えばこの世界ならば、少し眼を閉じてみるだけでも想像することはできる。

喫茶店の男性が決して悪いのではない。
単に想像力の問題だ。

その後、一階にオープンカフェを構える新しいホテルで同じ話をしてみた。
そこではこちらが説明をするまでもなく快諾を得た。

新しい価値観や社会ルールとは、そういうものなのかも知れない。
別にボランティア精神や特別扱いは必要なく、ありふれた日常の一つとして互いに共存すればよいだけの話。
古くて新しい視覚障害や盲導犬との付き合い方は、実はまだ始まったばかりだ。

身体障害者補助犬法
(平成十四年五月二十九日法律第四十九号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H14/H14HO049.html

DSCF7467.jpg
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ポートレイトについて思うこと 
2014/08/14 /07:05
ポートレイトには色々と複雑な想いがある。
考える度にモヤモヤしてしまう理由は幾つかあるが、特に大きいのはモデルと撮影者との関係性。
いわゆるポートレート展に行くと、その被写体の多くは『綺麗』で『若い』女性モデル。
そして撮影者の大半は男性カメラマンだ。
なぜモデルは『綺麗』で『若い』必要があるのだろうか。

僕はポートレイトという言葉を聞いて、
1-2人の被写体を相手に向き合い、その人間性と関係性を写し取ったものを想像する。
その対象は漬物屋のオバちゃんでもいいし、飲み屋で赤い顔をしたオッサンでもいい。
粉っぽい肌のシワや、くすんだ表情なんかが目に浮かぶ。

ところが実際に催されている展示の大半はそうではない。
そのギャップが生じたところに、僕はモヤモヤを感じているのかも知れない。

自分がポートレイトを撮るとしたら、
その目的はあくまで被写体と向き合いながらその内面を引き出すこと。

可愛いモデルを撮ることでもないし、仲良くなることでもない。
会場に連れてきてドヤ顔することでもない。
もしそれが目的なら、ちゃんと下心とムラムラが伝わるような作品にしたい。

可愛い女性モデルを撮る作品が、被写体と向き合ってないというのではない。
写真を撮ることを口実にして・・、という下心が透けて見えるような場合に、
僕はとても違和感を感じてしまうのだ。

ポートレイトはいつも、撮影とは何か?という問いを投げかける。
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友達ができた 
2014/06/02 /07:05
昨日はパートナー、盲導犬トレーナーYさんと共に、
盲導犬使用者さん(ここではSさんとする)の東京観光案内ボランティアに参加した。
書きたいことは山ほどあるけれど、今日はまず一つ。

僕らがSさんに『**というところがあるんですよ』と話をすると、
Sさんは『うわぁ、面白そう!見に行きたいわぁ!』と言う。何でもそう。
『見に行きたい』『見たい』とSさんは言う。
関西から来て、目覚ましテレビ大好きなSさんの情報源はフジテレビ。
お台場でフジテレビの建物やレインボーブリッジについて話をすると、
Sさんは『うわぁ!うわぁ!』と声を上げる。
僕達の声、盲導犬の動き、乗物の動き、音、匂い、感触を通じて、
確かにSさんは世界を『見て』いる。
目が見えているつもりになっている僕らの『見た』は、本当に物事を見ているんだろうか。

最初に挨拶をした時、Sさんはツアーへの不満や、僕らボランティアへの不信を隠さなかった。
難しい人なのかな?と思っていたが、打ち解けてきてからSさんが話してくださるには、
以前、同じようなボランティア学生とディズニーランドへ行った際、とても嫌な思いをされたらしい。
聞いていても確かに酷い話だ。
Sさんが警戒心で壁を作ってしまうのも無理はない。

自分達は目が見える、健常者であるという無意識の驕り。
それは悪意でなく、単に想像力が足りないだけの話。
たまたま身体の機能の使い方が少し違うと言うだけで、Sさんも僕らも何も変わらない。
それを今日の短い時間でSさんと盲導犬が教えてくれた。

怖い顔で挨拶したSさんが、最後は僕らと一緒に笑顔で記念撮影をしてくれたし、
パートナーは今日、Sさんと一緒にカラオケに行くことになった。
写真を見返してみるたびに、Sさんのキュートな笑顔を嬉しく思う。

Sさんは東京に友人ができた。
僕らは関西に友人ができた。
それだけの話なのだろう。
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【森山大道をインストールする】 
2013/08/04 /20:30
現代日本で写真をやるなら、特にスナップをやるなら避けては通れない巨匠、森山大道。
いわゆるアレ・ブレ・ボケと表現される彼の写真は幾度となく目にしてきたが、
今までどうしても自分の中に入ってこなかった。

代表作の一つ、三沢の犬の実物を見ても、その他の展示を見ても、写真集を見ても、
その荒々しくも高度な焼きや、カッコ良さしか伝わってこなかった。
アレ・ブレ・ボケという手法は理解できても、その必然性が全く理解できなかったからだ。

そんな中、写真集団シメンソカでメンバーである松崎ヒロノブの発案により、
アレブレボケのスタイルで撮ってみようという試みを行った。
<その活動の様子はこちら>

渋谷の街で1時間半、メンバー各々が散って撮り歩く。
僕は愛機X10の設定を、それっぽくして撮り始めた。

アレさせるために、ノイズリダクションをOFF。
ブレさせるために、不安定な持ち方。
ボケさせるために、AFはオフ。

4-5分で何枚か撮り液晶で画面を確認したところ、
何となくそれっぽい写真が写し出されたのを見て感じたのが、どうしようもない違和感だった。
こんなのは結果を真似ただけで、ただの画像じゃないか!!違う!絶対に違う!と。

そこで、彼の言葉やスタイルを思い出してみると、
『量のない質はない』『ノーファインダー』という2つが思い浮かんだ。

今の自分が撮った写真と何が違うのかを考えて辿り着いたのが、
『自分の眼とカメラを、本当の意味で限りなく連動させる』こと。
そこで、カメラを眼の位置に近い位置で構え、ファインダー、液晶は使わず、設定は固定。
自分の目が何かに留まったら、シャッターを切るという行為を『意識さえせず』に切る。

もう自分のマブタがシャッター!という位の意識で再び飛び込んだ渋谷は分厚く、
撮ってるうちに今まで感じたことのない興奮状態に陥りはじめ、
駅から横断歩道を渡らない範囲をグルグルと歩き回りながら30分が過ぎたところで、
僕はもう歩けなくなってしまった。
普段なら無意識にフィルターを掛けて見落としている世界が素通しで入ってくるため、
とにかく情報量が多く、興奮状態を維持していないと耐えられないからだ。

腰を下ろして確認すると、カメラには300枚余りの写真。
持ち時間1時間半のうち正味1時間が終わる頃には450枚の写真。
レンジファインダーカメラで、この密度の枚数は今までにない経験でもあり、
母数が大きいため自分が何を見ているのか、傾向がハッキリと見える。
そして多くの写真が、意図せずアレて・ブレて・ボケていた。

ここで初めて、僕の中に森山大道が入ってきた。
あの一連の作品は写真の効果ではなく、撮っていく中での必然であったのかと。
ノーファインダーは、自分の視線や反射に忠実であるため。
量はその行為の中で必然的に生まれるものだったのかと。

量を撮るという事は、それだけ膨大なエネルギーを持っているという事であり、
エネルギーが大きいという事は、それだけ写真も強くなる。
つまり作品としての強度も比例して増していくからこその巨匠である。

もしかすると全く的外れなのかも知れないが、僕はそのように理解した。
そして同じスナップでも、僕のとは全く別のスタイルだなぁとも思う。

次に森山大道展を見る時、僕はどんな感想を抱くだろう。
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【写真の価値を高めるために】 
2013/06/29 /20:30
3年前、御苗場で受賞してから受賞者でグループ展を行った。
その時に受けた衝撃というのは色々あったが、一番の衝撃は当たり前のように作品に値札が付いていたこと。
自分の作品の値段なんて考えたこともなかった僕にとって、それは全く未知の世界だった。

今でも自分の作品が売れるとは思っていない。
例えば作品を購入してトイレに飾るとする。
僕の作品の場合、トイレでずっと見知らぬオッサンと見詰め合うことになる訳だし、
自ら進んでその状況に金を出すマニアが多いとは思えないからだ。

確かに売れる作品というのは存在する。
例えば同期のキイロさんや、村上千恵さんの作品にはチラホラ買い手がつき、それなりの所へと収まっていく。

写真業界全体に目を向けた場合にはどうだろうか。
写真という物に金を出す人がどれだけいるだろう?
子供の七五三の写真には金を出せるだろう。
広告写真には企業も金を出すだろう。
ポストカード程度なら個人も金を出すだろう。
しかし、作品として考えた場合の写真に大金を出す人は、
一般に食えないと考えられている絵画よりも更に少ないだろう。
作品としての写真市場は、余りにもパイが小さすぎて話にならない。

何故このような状況になっているのか、原因は様々だ。
ざっと考えうるものでも主に4つ。

①アート、デザインという物に対して対価を払う文化がない
②写真は身近にありすぎて、複製も容易であるために価値が認められにくい
③日本は家が狭く、飾る場所もない
④写真に対してどう接して良いかが分からない

①-③は多くの方が指摘してきている通りだが、実は最も根深いのが④でないかと思う。

写真誕生から140年以上の年月が流れ、写真の撮り方、使い方については我々も熟知してきた気になっている。
シャッターを押せば簡単に撮れて、簡単に印刷できて、簡単に複製できる。
それが故にどう接していくかを真面目に考えたことのある人は少ないのではないか。
写真の立ち位置も日用品とアートの境界線を行ったり来たりしているのが現状だ。
ゴッホの絵なら『何億円ね!』という相場感覚も、写真には存在しない。

では、どうしたら真面目に考えることに繋がるだろうか?
最も簡単な方法は実際に作品を作ってみることだ。
例えばアジサイの花の写真がある。
『綺麗ですね』ではなく、それを表現するために、作家がどれだけの労力を費やしているか体験してみること。

プロが花びら1枚を撮るのに1時間を要したとして、では幾らが妥当だろうか。
アマの自分が同じ花びら1枚を撮ったら何時間かかるだろうか。自分の時給は幾らだろうか。
そうなると作品には幾らの値段をつけたらいい????

そういう細かな想像力の積み重ねが価格への感覚を生み、
値段をつけて販売する人が増えれば相場が形成される。
相場が浸透してくれば、女性向けの雑貨屋あたりから取り扱う店が増え、
写真をやらない人にとっても作品の価値が徐々に分かるようになる。

つまり、写真を『撮る』という意味で『やる』のではなく、
『価値を持ったもの』として『やる』人を増やしていくことが、
おそらく写真の価値を高めるために最良にして最短の道ではないかと思われる。

過去に何度も写真業界は写真の価値を高めるために囲い込みを行ってきたが、ことごとく失敗してきたという。

それは今まで写真の立ち位置を掴み損ねていたからではなかろうか。
これまでカメラが便利になってくるたびに、女性や子供が新たな市場として目をつけられ、
最近ではHIROMIXやニナミカに代表されるガールズフォトなども生まれてきた。
だがそれはフィルムカメラの中での話だ。
現像には時間も掛かり、殆どのカメラは黒くゴツく、中古カメラ屋はバンダナを巻いた紳士の社交場のままだった。
濃厚なメンズスメル漂う中で作品を発表し、値段まで付けようとするアイアンハートな初心者は少ないだろう。
結局は近くに見えて遠い世界だったのだ。

本当の意味で女性や子供がカメラやスマホを気軽に手にして、
バンダナ紳士達と全く同じスタートラインで写真を楽しめるようになったのは、この数年。

写真を撮る行為自体には何の特別な意味もなく、限りなく価値がゼロになってしまった今こそが、
実は写真への接し方という価値観を醸成する最大のチャンスである気がしてならない。
誰でも撮れる、なら誰でも作品作りをできる、作品作りのキッカケを与えれば誰でも考えることができる。

今を逃すと、今度は写真が形を変え始めて『撮る』という行為に収まりきれなくなってくる。
そうなると新たな価値観への過渡期特有の、小難しい理論や方法論が幅を利かせ、
再び初心者や女性や子供へのハードルは上がってしまう。

写真が写真という言葉に収まっている今のうちに、
多くのワークショップに(写真講座ではいけない)、どれだけの人を取り込めるか。
そこが写真業界浮沈の肝になってくるのではなかろうか。
大事なのは、極めて分かりやすい講座、程ほどのレベル、イケメン講師。

どんなカメラを売るかではなく、一人でも多くの人にどんな体験を提供するか。
単純に物を売れば良い時代は終わった。
カメラを買ったら、ワークショップの無料体験が付いてくる位の思い切りは必要だろう。

そうして、まずは1円分でもパイを拡げていくことしかない。
優れた作品が正当な価値を認められるには、まずは市場の形成こそが最優先。
20年後の写真家が食えるかどうか、それが今に掛かっている。
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スナップカメラというもの 
2013/06/10 /20:05
僕にとって一番のカメラは?と聞かれた場合、僕はいつも迷わずに「写るんです」と答える。

ライカM3なんて分不相応なカメラを持っていたりもするが、誤解を恐れずに言えば、
超高級写るんですというのが使ってみての感想だ。

いずれも押した瞬間に撮れる。すなわち起動時間のロスがない。
いずれも電源を必要としない。すなわち撮りたい瞬間に撮れない心配がない。
いずれも必要最低限の機能しかない。すなわち無駄なことを考える必要がない。

僕にとっての良いカメラというのは、すなわちそういう事であって、
撮りたい瞬間に撮る!ここに尽きる。

ところが時代はデジタル一色。
デジタルには常に電源が必要で、そして起動にはどうしても一定の時間を要する。
万能カメラとして愛用してきたCX5もそうだ。
起動してシャッターを切るまでに2秒は掛かる。
この2秒はスナップショットにとって致命的であり、そこが常に悩みの種であった。

起動の速さを求めると、どうしても一眼レフという選択になるが、そうすると被写体へ向けるという点、
日常の可搬性で厳しいものがある。

一部コンデジに起動の速さを売る機種もあったが、センサーの小ささもあり、
画質に充分なものを得ることが難しかった。

そんなこんなで悩みぬいていた日々の中で出会ったのが、フジフィルムX10。
まず、レンズを回して起動という点。これがライカを使っていた僕には非常に手に馴染んだ。起動も実に速い。
これはいいと試し撮りをして驚いたのが、その描写性能。
まるでポジフィルムのような美しい画が得られると思ったら、
実際にフジのポジフィルムのトーンを再現して色作りをしているという。

括りとしてはコンデジに分類される機種ながら、まるでフィルムカメラを使っているかのような感覚があり、
その落ち着いたフォルムと、静かなシャッター音、素早い起動でシャッターチャンスを確実にモノにしてくれる。

僕にとって最高のカメラである、写るんです。
それを生み出したメーカーが、再び僕にシャッターチャンスを与えてくれる。
この愛すべきX10という機種を、これから当分は携えて歩くことになりそうだ。

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第二回シメンソカプロデュース矢野巌篇 
2013/04/30 /10:05
先日から、写真集団シメンソカ内でワークショップを行っています。
毎回各メンバーが交代で一日の企画・立案・運営までを行い、互いにそのワークショップ内で学びあうという試み。
僕は写真の歴史についての授業を行うことにし、その状況は以下の通り。
文章・写真は写真集団シメンソカブログ『シチテンバットウ』よりほぼ転載です。

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シメンソカ内でメンバーが毎回持ち回りでイベントをプロデュースし、ワークショップ的なものを開催するという試み。
第二回は、矢野巌が担当することになりました。

そこで、以前から感じていたモヤモヤ。
『このまま、シメンソカも基本を知らないまま続けていていいのだろうか』
『歴史を知らずに続けることには限界がある・・』という思いを解消すべく、
会議室を借り切って、3時間の講義を行うことにしました。

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僕自身も専門家ではないので知識は限られてはいますが、この講義に向けてそれなりの勉強をし、写真の始まりから第二次世界大戦前後までの歴史をまとめ、レジュメを作成して臨みました。

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時間も限られた中ではあるので、本当に概略と主要な人物・事件、そして写真を巡る思想の流れを大きくなぞるという程度ではありましたが、それでも3時間という限られた時間だと、ギリギリ許容内の内容です。戦後の写真史については、またの機会。

講義の最後には、恐怖の確認テスト。

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採点してます。

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メンバーの点数は・・!?

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自分で勉強していても感じていましたが、知っているようで意外と知らない。
分かっているようで、意外と分かっていないもの。
これを機にメンバーも知識を整理して、今後の創作に役立てていければと思います。
何でも知っててやるのと、知らないでやるのでは、越えられない大きな隔たりがあるのですから。

授業のあとは、カメラ博物館へ移動。

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これまた意外に知らないカメラの歴史を、さっきの講義を踏まえた上で学びます。
写真の歴史とカメラの歴史。
切っても切り離せない両者の歴史をは、これからも学び続けていかねばと思います。
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潮目 
2012/07/20 /22:17
思うことを少し。

数年前、中国の毒ギョーザ事件が起こった時に聞いた、
『日本人は食い物のことになると本気で怒る』という言葉が非常に悲しかったのを覚えています。
単なるジョークとしての言葉でなく、その程度にしか政治や世の中の動きに関心がない国民性を鋭く刺していると思えたからです。

そして今。
万余の死者と、数え切れない程の被害者を増やしながら、
原発についての声が上がり始めています。
あれだけ風見鶏を決め込んでいた日本人が、ようやく声を上げ始めているのです。

これまでのデモといえば、いわゆる『面倒くさい人たち』が主体でした。
しかし先日の17万人集会、毎週末の官邸前でのデモなど。
いわゆる『普通の人たち』が多く参加し、自分達の生活や、次の世代についてのことを考えて始めているのです。

これは本当に大変なことで、自分達の意見を出す手段として『選挙』ではなく、
別の手段に国民が気付き始めたことを意味しています。

テレビマスコミでは殆ど黙殺に近い形が取られている現状ではあっても、
確実にその数は増えていて、もしも今回の原発問題についての動きが不発に終わったとしても、
次に大きな問題が発生した時には、更に大きなうねりとなることでしょう。

『ネットで真実!』とか言うつもりはありませんし、
主宰団体のやりようによっては踊らされるだけに終わってしまうかも知れません。

しかし、程度がどの程度であるにせよ、日本人の意識の大きな転換期に差し掛かっていることは間違いなく、
『デモなんて意味ないじゃない』なんて考えでなく、誰もがそれぞれの意見を持って発言できる世の中に、少しづつ変わってきていることを感じます。
民主主義である以上、原発or脱原発のどちらを選ぶにせよ、意見は一つでも多い方が良い。

僕も写真をやる人間として、感じることを何かしらの形で作品として発信していけたらと思います。
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Dialog in the dark 
2012/05/15 /07:05
もう4年位前、『Dialog in the dark』というイベントに参加しました。

完全に光を遮断された建物の中、白杖(目に障害のある方が持っている杖と同じもの)を持ち、
手探りと声のみで彷徨い歩くというイベント。

僕が参加した時には、参加者10名くらいの一団となって何も見えない暗闇を進んだのですが、
全く視界の利かない中に、鳥の声、川のせせらぎ、風の音が聴こえてくるようになっており、
かつ暗闇の中には田舎の古民家、小川、庭が再現されているのです。

視覚に頼れない中でそこを歩いていくのですが、何も見えない中で感じる木の温もり、
川の水の冷たさ、古民家の中にある家具の手触りを感じていくうちに、
不思議と目の前に『見えて』くるから不思議なもの。

もしかすると本当に存在している物とは掛離れているかも知れないけれど、
人間の脳は目の前に対象物を、本物以上に鮮明に作り上げる働きがあるのです。

田舎を楽しんだ後には、別室に通され、そこは同じく暗闇。
なんとそこはBARになっており、暗闇の中でオーダーすると、
何も見えない中でバーテンダーが希望の飲み物を出してくれるという粋な計らい。
(もちろんバーテンダーにも何も見えていません)

僕は当時、写真を始めたばかり。
光を読むことに躍起になっている時期でした。
その自分にとって、全く光のないない中で過ごした時間は衝撃的で、それは今も胸に残っています。
もし光を失ったとしても、もしかして今より凄い写真が撮れるかも知れない。
なんて事を考えたりもしたものです。

暗闇で視覚障害者の気持ちになって考えよう!とか、そんな小さい括りではなくて、
目が見えないことに対して、もっと前向きさというか、逆に人生のアドバンテージなんじゃないかとさえ思わせる
そんな楽しい暗闇エンターテイメント。

写真をやる人間にこそオススメしたいものです。

(この写真はイベントと全く関係ありません)

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【告知】写真集団『シメンソカ』結成のお知らせ 
2012/03/06 /07:05
先日、本気で写真に取り組むために写真集団を結成いたしました。
徐々に活動を行っておりましたが、ブログ記事も貯まってきたので告知に踏み切りたいと思います。

『写真集団シメンソカ』 BLOG

男女四人それぞれが別に本業を持ちながら、写真に対する想いをキーワードに集結した写真集団です。
趣味という言葉では終わらせず、本気で被写体と向きあいながら、
月次定例会・年次グループ展(開催へ向け準備中)・各自の活動を行っています。

これから様々な形で活動を展開していきたいと考えておりますので、宜しくお願いします。

【メンバーと各BLOG】
・椿原 桜果(Hi Bi+)
・オカムラ カオリ(等身大ブログ)
・松崎 ヒロノブ(まつざきスタイル。)
・矢野 巌(当ブログです)
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カメラ選びについて 
2011/12/16 /18:00
僕自身は『カメラ』自体にそれほど精通している訳ではありません。
それでもこれから写真を始めたいという方よりは少しだけ詳しいということで、
よく『カメラを買おうと思うんだけど・・』という相談を受けます。

そんな時に僕は『どんな使い方をするのですか?』と確認してから、
『これだけは!というのを3つ考えて下さい』と返した上で、一緒にカメラ売り場へ行くことにしています。
そして背中を少し押す・・、という事を繰り返しているのですが、
これは部屋選び、会社選びの相談を受けた時なんかも全く同じことが言えますね。

かくいう自分がどうかと考えてみました。
優先順位として

1、起動が早い
2、押せば写る
3、軽い
※(風雨に強ければ尚可)

スナップをメインとしているので、やはり起動の速さ。
構えた瞬間がシャッターを切れる瞬間でもあるのが何より優先します。
ゴチャゴチャ考えずに直感で写せるのも大切ですし、非力な人間なので軽さも大事。
そして雨でも風でも撮れる力強さがあれば完璧。
風雨の点を除けば、そもそも起動の要らない、
『写るんです』又はフィルム時代の『ライカ』が最高!というのが僕の持論ではあります。

きっと人によって全く優先順位が違うでしょうし、
どこかのメーカーで大規模なアンケートを行ったら面白いでしょうね。
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月よさらば 
2011/12/11 /07:05
昨夜は皆既月食。

僕の住む街は錦糸町。
空に瞬く無数の星よりもネオンの方が喧しい街ではあります。

けれど今夜は特別な日。
痛む首を時折さすりながら、一人でずっと天体ショーを眺めていた一時間余り。

近所のスナックのママが出てきて僕に話しかけてきました。
『お兄ちゃん、月見てるの!?綺麗だわよねぇ!』
『ええ、滅多に見られないですしね。』
『そうよ、兄ちゃん!アタシなんか次の月食の時は棺桶だからね!ハハハ!』
『・・ハハハ』
なんて話しながら一緒に空を見上げていると、店の中からはカタコトのお姐さんやら、
オッサンの肩車に乗った少女やらが連なって出てきます。

ママは興奮したのか、両隣の店に乗り込んで人を引っ張り出してくる始末。
いつの間にか大所帯になった夜の住人達と一緒に眺める月の満ち欠け。
日本語の怪しいお姐さん達は、やっぱりカメラの使い方も怪しくて、
上手く撮れないヨー!なんて笑いながら向ける先には欠けた月。
それを見ては肩の上で笑う少女。

ふと周りを見渡せば、どの路地裏にも空を見上げる人の陰。

昔と違い『みんなが楽しんでいるアレ!』といったものが少なくなった昨今。
今年で言えば地震のニュースぐらいが共通体験として言えるかも知れませんが、それでは余りに寂しすぎる。

この天体ショーは年の瀬にお月様がくれた、粋なボーナスかも知れません。

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見送り人 
2011/10/29 /07:05
薄紅のコスモスが 秋の日の
何気ない陽だまりに 揺れている

この頃 涙もろくなった母が
庭先でひとつ 咳をする

縁側でアルバムを 開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話 繰り返す
独り言みたいに 小さな声で

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何故、写真を撮るのか?と聞かれたら 
2011/10/09 /19:05
先日テラウチマサト氏の話の中で、
問われたのが『何故、写真を撮るのか?』というテーマ。

これは登山家に対して『何故、山に登るのか?』と聞くのに等しい問いで、
上手く言葉にするのは難しいものです。
敢えて言うなら、それは3つ。

①写真を撮るのが楽しくて仕方ないから
 これに尽きます。
 別に金儲けしたい、賞が欲しい、モテたいとかじゃなくて自分が楽しいから撮るのです。
 それを大前提としての②③。

②人に伝えたい事がある
 世の中には面白いこと、切ないこと、思いも拠らないことが溢れています。
 それは日常を送る中で本当は誰しもが見ているはずのもの。
 僕はそれを写真として切り取り、目の前に提示しているに過ぎません(それはきっと他の誰の写真でも)。
 世界を変えたいとか、そんな大それたことではなくて、
 見た人が改めて可笑しさに気付いてくれたり、ちょっと想像力を働かせてくれたら嬉しいのです。
 噛めば噛むほど味の出る、スルメ写真とでも言いましょうか。

③コミュニケーションとして
 自分の作品によって、どこの国の人とでも少しだけ分かり合えると思うし、
 自分の作品を好きで褒めてくれる人もいる。逆も然り。
 作品に対しての反応が、そのままコミュニケーションとして成立します。
 つまり写真を撮り続けることによって繋がる縁が、とても楽しいのです。
 その中で今回のような機会も生まれてくる。
 これはきっと絵画や音楽やスポーツでも同じことかと思います。

という訳で、考えてみたら随分と単純な理由で撮り続けているものですね。
趣味(最近は趣味と言ってしまう事に違和感を覚えますが、ひとまず)だからこそかも知れません。
写真との関わり方がどうであれ、いつまでも撮る事が楽しい!と言えるようでありたいものです。
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